いつだっていつだって、翻弄されて余裕が無いのはこっちだけ。あなたは優しく微笑んで、ただただ俺を甘やかして。ああもうそんな限りの無いループをいつまで繰り返せば良いのだろう…。







「、あ」
「?どうしたんだいアリババくん」
「わりぃアラジン、先に戻っててくれ」



銀蠍塔での修練を終えて、中庭で待っていたアラジンと共にあてがわれた部屋へ戻ろうと歩みを進めている途中に廊下を曲がるあの人の姿が見えた。最近忙しいみたいで、なかなかゆっくりと会えないあの人を、会話が出来なくとも少しでも目に映し置ければと追い掛ける。せっかく待っていてくれたアラジンには申し訳ない気持ちが込み上げてくるが、後でもう一度謝ろうと思いつつ彼が曲がった廊下の角に差し掛かった。



「そんなに慌ててどうかしたんですか?」
「わああああっ!?」


曲がった直後に目の前に追い掛けていた人物が居て、情けない叫び声を上げてしまった。ぶつかる寸前に止まれたから良いものの、羞恥と驚きでバクバクと五月蝿い心臓と赤くなっているであろう顔はしばらく治まりそうに無い。


「すみません、驚かせてしまいましたね」


くすくすと笑う相手に何とも言えない気持ちになって胸がギュッとする。ああまた、だ。いつもこの人の一挙一動に俺は…。


「それより、廊下は走ってはいけませんよ。危ないですからね」
「あ…すみません」


思わずしゅんとするとどこか困ったように頭を撫でられる。ふわりふわりと優しく行き来する手に何故か泣きそうになってきた。


「何か急ぎの用事でもあったんですか?」
「ぁ、いえ…ただ、ジャーファルさんが見えたから」


つい追い掛けてきてしまいました。
語尾に向かうに連れて小さくなってしまったが、どうやら彼…ジャーファルさんにはちゃんと聞こえたみたいだった。


「私が…いたからですか?」


呆けたように問われてコクリと頷いた。改めて振り返ると何をしているんだろうか自分は。殆ど衝動的に体が動いたのだが、よくよく考えれば彼は昼夜関係無く積もった仕事に対せねばならない身なのだ。こちらに伸ばされていたものとは逆の方の手には書類がしっかりと握られている。今この時間すら彼には惜しいのではないのか。優しく応対してくれてはいるが、自分はこの人の邪魔をしているのと同義なのだ。そこまでの思考に到ってザッと血の気が引いたような感覚に襲われる。


「す、すみませんジャーファルさん。お仕事の途中なんですよね。邪魔をしてしまって本当にごめんなさ、」
「アリババくん」


溢れる気持ちのままに言葉を発していると、ふいにハッとするような真剣な声が上から聞こえた。いつの間にか下がっていた視線を向けると、声色とは裏腹にどこか幸せそうに微笑むジャーファルさんの表情が視界いっぱいに広がった。


「誰がいつ君を邪魔だなんて言いましたか?」
「で、でも俺…」
「私は嬉しかったですよ。君が私を追い掛けてきてくれて」
「ジャーファルさん…」


そっと頬を包まれて、そこからジャーファルさんの体温がじわりと伝わってくる。それだけで体の熱が上がってしまう自分が恥ずかしい。


「ふふ、真っ赤ですねアリババくん」
「見、ないで下さい」
「何故ですか?こんなに可愛らしいのに」


スルリと頬から首まで滑る手に肩が跳ねる。それにも笑うジャーファルさんにどうすれば良いのか分からなくなってきた。


「アリババくん」
「ぇ、は、はい」
「私は君にとても助けられていますよ」


その言葉に目を見開く。この人は一体何を言っているのだろう。自分がいつこの人の助けになったのだろうか。むしろいつも甘やかされて愛されて、自分は寄りかかっているばかりなのに。
 

「私はね、アリババくんとこうして会話して名前を呼んで貰えるだけで仕事の疲れなんて吹き飛んでしまうんですよ」
「、え?」
「ですからそんなことを言わないで下さい」


何より恋人にそんな寂しい遠慮なんてして貰いたくなどないのだ…なんて、

(ああ、もう、)

いつだっていつだって、翻弄されて余裕が無いのはこっちだけ。あなたは優しく微笑んで、ただただ俺を甘やかして。ああもうそんな限りの無いループをいつまで繰り返せば…いつまで繰り返せばこの人への想いの奔流が止まるのだろう。毎日募る好きの気持ちに呼吸が苦しくなる程に、自分はこの人に溺れてしまっているのだ。


「ジャー、ファルさん」


先程とは違う意味で泣きそうな自分にジャーファルさんは笑みと共に唇を落とした。
瞼に
額に
鼻に
頬に
…唇に、



あたたかなソレにやはり涙が零れてきて、それすら唇で拭ってくれるこの人のことを本当に好きだと心音の世界で俺は幸せに泣き続けた。








「この書類が終われば一区切り付くのでもう少しだけ待っていてくれますか?」


この歳でボロボロ泣いてしまったことによる羞恥心と戦っていると、ジャーファルさんが徐に口を開いた。目の端に映る書類の束を見詰めながら、恐らく今日中には終わると紡がれる言葉に気持ちが浮上した。


「ですから、」


そっと手を取られ、指先に口付けられる。


「今夜は私の部屋で待っていて下さいね」


疑問系でない台詞に一気に全身が沸騰した。ガチガチに固まってしまった俺の頭を一撫でしてからジャーファルさんは静かに歩き去って行ってしまった。


「…え、えええええっ!?」


茹で上がった状態のまま廊下で頭を抱える俺が今夜のことを考えてまた泣きそうになったのは言うまでもない。